第2回 野村主任心理療法士 meets 本村精神科診療部長
2022年7月1日


対談前 ~ 会場のサイダットルームで ~
野村:いやーこうやって身構えると話せなくなるんですよね。
本村:考えると何も言えなくなってしまいますよね。
野村:なので編集の腕で何とかしてもらいましょう。
広報部:編集の腕は無いので野村さんの話術で引き出してください。さながら徹子の部屋のように。
野村:いやいやいや。そりゃー聞きたいことはいろいろあるけれど、載せられる内容になるか不安ですよ。だいたい聞きたい事って個別的な事になりますし。
本村:私が着任した昨年度にはもうコロナが流行っていましたから、飲み会とかそういう機会も無かったですしね。
広報部:それでは、第二回の照幸の部屋を始めていただいてもよろしいでしょうか。
野村主任心理療法士 meets 本村精神科診療部長
野村:本村先生、お忙しいところ本日はどうもありがとうございます。
本村:よろしくお願いします。
野村:本村先生もお忙しいと思いますので…パパっとしつつもいろいろお聞きしたいと思います。まずは先生のバックグラウンド、出身や本村先生の少年時代はどんな感じでしたか。
本村:私は福岡県福岡市の生まれですね。福岡市では移動がありましたがほとんど福岡市で育ちました。福岡市は九州の中で一番都会ですが、都会と田舎のバランスが取れているなと自分では思っていましたが…九州以外で生活したことがなかったですね。
野村:福岡といえば中州とかきらびやかで中心街って感じのイメージがありますね。
本村:住んでいたところは住宅地でしたね。
野村:少年時代はどんな子でしたか。
本村:今振り返るとアスペルガー的というか…本が好きで図鑑が好きだった。動物図鑑をノートに書き写したりするのが好きでした。今振り返ると特性が濃厚でした。
野村:図鑑で推しがありますか。
本村:好きだった図鑑は世界地図があって、どの国にどの動物がいるかっていうのが書いてありました。それを見てオーストラリアへ行ってみたかったという気持ちがありました。未だに行けてはいないですけれど…。
野村:そんな本村少年が医学の道へ行くきっかけは何だったのでしょうか。
本村:よく覚えていないですけどね…父親が勤務医でして、親戚も医者だったり学校の先生だったりで企業で働いている人が少なかったです。それでなんとなく医師のイメージが湧きやすかった。
野村:そんな環境もあって企業のサラリーマンというよりは医師の方がイメージが湧いた感じですか。
本村:ぼんやりした変わった子だったので、企業の中では生き残っていけないと、周りが思ったんでしょうね。
野村:幼少期から医学の事とかに興味があったんですか。
本村:本が好きで基本的には文系でしたね。でも文学とかで食べていけるのは一部だと聞いて、その道に行くのは難しそうだなっていう話を良く聞きました。
当時、精神科医で歌人でもあった斎藤茂吉さん、その息子で精神科医かつ小説家でもあった、北杜夫さんたちのような話を聞いていると楽しそうだなって思いました。割とのんびりしていて本を読んだり好きな事をしながら過ごしているイメージですね。
普通の企業ではやっていけそうにないし、医学の道でも外科とかでは到底やっていけそうにない。そんな息子を見て、誘導的な情報を親が流していたと疑っていますけどね。はっきりときっかけは覚えていないが、いつの間にか自分は精神科の道に行くと思っていました。中学生の頃にはそんな風に考えていましたね。
野村:さっき図鑑の話を聞いた時に研究者とかの道もありそうだなって思いました。
本村:そうですね。いずれにしても体が弱くてぼんやりしていたので、タフな競争の世界ではやっていけないと思ったのが親の評価だったんだろうなって思います。
野村:そんなエピソードを聞いて思い返せば…忙しいところばかり行ってませんか?
本村:そうですね。特にこの年になってこんなに忙しく働くとは思いもしませんでした。
野村:さいがたもそうですし、肥前も九州大学もどこも忙しそうですよね。
本村:のんびりして好きな事をやっていくというのがかつてのイメージだったのですが、精神医学全体の変化もあると思いますね。昔より精神科の敷居が低くなったり、在院期間が短くなったりして、それ自体はよいことなのですが、 昔は患者さんといっしょにのんびりと過ごしたり、先輩の診療を近くで見たりする時間がありましたけれど…今は若い方もバタバタして時間が無くなってしまいました。
野村:精神科医でなかったらどんな仕事をしていましたか。考えにくいかもしれませんが、あえて先生に考えていただければと思いまして。
本村:実はその事って良く考えます。100年前に資産家の子どもに生まれて、食べるために働かなくてよかったとしたら、自分は何をしていたかなんて妄想にふけったこともあります。
たぶん、文学部に入って、文学や哲学や歴史の勉強をして、大学を渡り歩いて、ずっと学生をしていたかもしれません。
野村:なんかアカデミックな世界で本村先生が本を抱えながら生きているなんていうのも想像できますね。
先生が壁にあたったりとか挫折しそうになった事なんてありますか。
本村:いろいろあるんですが・・・もともと精神医学の中でも精神医学と哲学の関連を探るようなそんな分野に興味がありました。自然な事だとは思うのですが、精神科医になる前からそんな本を好きで読んでました。
ところが現場に出てみると理論優先だけだとうまくいかなくて、もっと広く勉強しなきゃと思いました。
入局したのは九州大学の医局だったが、一年目で派遣されたのが肥前だったんですね。
その時の経験でもう少し現場で役に立つことを広く学ぼうと思いました。
野村:イヤだと思うよりかはもっと知りたいという気持ちが強かったですか。
本村:説明するのは難しいですが…そもそも人間というのに興味を持ち精神医学の道に入りました。そこで精神医学というのはどのようなものか、って考えると確固としてこの道を行けばいいというものがなくて、模索してきたというか…難しいといえば難しいし、でも面白いといえば面白くて答えが出ないですね。
未だに答えは出ないですけれど、何か一つのところに限定してその道を極めるほうが本当はいいとわかってはいるのですが、なかなかそれができなかったですね。
なのでいろいろな所に行き、少しずついろんな視点からの経験を積んで、視野が広がって、というような、そんなキャリアでした。
野村:私の中では本村先生って精神病理とかどんどん積み上げていってるイメージがありましたが、まだ学んでる途中で、出来上がった感じというわけでも無さそうですか。
本村:大学院はネズミの脳の解剖を研究してて、ずいぶん時間がかかりましたがなんとか学位も取れました。九州大学の精神科のスタッフとしてもそれを延長とした研究をしたのですが、現場での臨床・若手の教育・一時期は医局長としての人事等業務もさばかなくてはなりませんでした。上手にバランスを取れれば良かったのですが、根がぼんやりしているので、上手にやれませんでした。
そうしていくうちに年齢だけ重ねて、大学ではこれ以上うまくやれそうにないと思って古巣の肥前に戻りました。それが挫折といえば挫折になりますね。
ただ、肥前と九州大学を行ったり来たりして経験を積んできたこと自体は、視野を広げると言う点では、とても良かったと思っています。
野村:のんびりとしたいという本村先生にとっては大学の経験はチャレンジでしたね。
さいがたに来るというのもチャレンジだと思いますが経緯ってありますか。
本村:さいがたはしばらく医師不足になったときに、肥前やほかの国立病院機構の精神科病院から、支援を出すようになりましたね。村上先生と佐久間先生が常勤になっていたので、
支援医師としてさいがたに来るたびに、大いにもてなしてもらいました。
そうするうちに、何となくこの土地が好きになっていました。
野村:気候もだいぶ九州とは違っているでしょうが、上越の地はどうですか。
本村:来て本当に良かったと思います。どんどん好きになっています。
野村:特にどんなところがいいですか。
本村:たくさんありますが…海がいいですね。今は日没が遅いので仕事が終わってから海岸にいって暗くなるまで海辺でぼんやりすることもできますし、週末は海岸線をジョギングしたりしています。一方には山もあります。2000メートル級の山の登山口まで1時間余りですが、これはものすごい贅沢なことだと思います。
野村:佐賀や福岡の海とも違いますか。
本村:行くのが面倒なんですよね。福岡は狭い道が多くて道が混んでばかりで。
近くにある「大潟水と森公園」も良かったです。小さな双眼鏡を買ってバードウォッチングをするようになりました。
この季節だとキビタキという、声も姿もとてもきれいな小鳥がいたりします。山の中では声は聞こえても、なかなか姿は見つからないのですが、公園では見つけやすく、見ていてとても楽しいです。
冬は朝日池の方で、ハクチョウやガンの写真を撮ったりしています。
50歳過ぎてから九州を初めて出てこんなに楽しい生活をできると思わなかった。
自分でもびっくりしています。
さいがたに医師が増えてきて、他のところが減ってきたらまた他のところに行ってもいいかもしれませんが。
野村:村上先生のような生き方になりそうですね。本村先生は昔からアウトドアも興味があったんですか。
本村:超が付くほどのインドア派でした。
こっちに来る1~2年前から低い山に登るようになりまして、こっちにきてからさらにですね。昔はなんで休みの日にわざわざ山を登らないといけないのかって思ってましたが、今は山に登れるのが楽しみです。
野村:先生の夢って言いますか、仕事でも今後していきたいことってありますか。
本村:思いつくことは二つありまして。
一つは、超インドアだったのに健康になってきたきっかけは、5~6年前からマインドフルネスというか瞑想を自分の生活に取り入れたことです。よく知らない頃は宗教的な感じがして抵抗があったのですが、きっかけがあってやってみたら、これはすべての人が経験した方がいいなと思いました。
病院で働いていると、医者はどうしても薬に頼ってしまうが、ヨガもそうですがこのようなものが広まっていくと、患者さんだけではなく、病院の職員や地域の住民の方にもいい影響があるだろうと思っています。
言葉で説明するのは難しいですがすごく効くなと思いました。山に登るようになったのも、
さいがたに来ようと思えたのも、マインドフルネスのおかげかもしれません。
二つ目は精神医学史の研究をさせてもらっています。
古いカルテの内容を解析するという調査で、今は昭和7年頃から30年頃にかけての時代をやっています。
野村:どのような事を見るのですか。
本村:一方では精神科医の考え方の変化があり、もう一方では患者さんの言動の変化があり、
双方がからみあいながら、精神医学はゆっくりと変わっていきます。そのような変化のなかで、あるときには、生物学的な要因の現れだと考えられていたものが(それならば社会の影響はあまり受けないはずですが)、時代と共に消えていったりして、実は社会的な要因の影響が大きかったことがわかったりします。精神疾患は、どの程度生物学的で、どの程度社会的な現象であるのか、そう簡単には分からないのです。
その事は、長いスパンで評価しないとわからない、日々の臨床のなかではみえないことも多いのです。
今まで、行動療法や精神薬理、神経解剖学、精神科診断学など、あれこれ少しずつ勉強してきましたが、大学をやめて精神医学史の研究をはじめてから、ようやく自分の道がみえてきた気がしています。
まだ論文にもなっていませんが、精神医学を通じて日本の社会を考えるきっかけがつくれたらと思っています。
野村:先生がときどき大学に戻ってやっているのはそういうことなんですね。
なんかつながっていますね。哲学的なことや幼少のころからのことも今につながっているような。
本村:そうなればいいなと思っています。
野村:この対談って当院に今後興味を持たれた医師の方も見ると思いましてあえてお聞きしますが、上越の地で不自由だったり不便な面はありますか。マイナスな面として。
本村:雪で有名ですが除雪車も来ますし、一冬過ごしてみて過ごせないことはなかったですね。
野村:福岡は降らないですか。
本村:九州では、10cmも降ったら交通がマヒするくらいですね。でもこちらは毎年雪がたくさん降るので、たくさん降っても社会が回るようになっているところが全然違いますね。
あと、馴染めていないところがあるとしたら新潟のラーメンにはまだ馴染めていないですね。
野村:新潟の5大ラーメンは制覇されてないですか。
本村:まだそんなに食べていないですね。福岡の人間はやっぱりとんこつというのがありますが、いつかこっちでも好きなラーメンに出会いたいですね。そんな頻繁には食べに行けないのでまたチャレンジしてみます。
そういえば野村さんラーメン作るんですよね。
野村:えぇ。私は出汁をとるのが好きでして。寸胴を買うのに妻とケンカします。
軒先で鳥の骨をたたかないでとか言われます…。
哲学者で誰が好きですか。私はニーチェ好きなんですよ。
本村:若いころはニーチェも好きだったしスピノザも好きでした。でも今は、トマス・ネーゲルという人が好きです。「コウモリであるとはどのようなことか」という本が翻訳されていて有名ですが。
野村:本村先生とは私も読んでから話してみたいです。
本村:スピノザなんかだと、ひとつの視点から全世界がクリアに見渡せるような感じがして、とても爽快で、万能感が高まる感じになります。ですがネーゲルの方は、そうやってすべてを見渡せるような単一の視点はないのだ、という哲学なのです。専門家から見てどうなのかは分かりませんが、精神医学の実情とよく対応しているような気がしています。全体を見渡すことはできないことを受け入れて、越権行為をしないよう自分を戒めながら、こちらから眺めたり、あちらから眺めたりしつつ、全体を探っていくしかない。年長者向きというか、すっきりしないところが魅力ですね。
野村:ある意味リスペクトかもしれないですね。いろんな可能性を人に見出すというか、
人に決めつけない臨場感というか。
対談後
野村:本村先生、今日はありがとうございます。人間、本村先生に触れられた機会になったなと思います。
本村:意外にまとまった話になりましたね。
野村:あとは編集の腕でお願いします。
広報部:腕は無いですが…本村先生の人柄がすごく出た対談になりましたね。
野村:そうですね。本村先生はもっとカチっとしていて、順調にキャリアを歩まれたイメージかと思いきや、
いろいろ紆余曲折あって今に至るところとか意外でしたね。
本村:一つやってると何か足りないって思ってしまうんですよね。
野村:本日は本当にありがとうございました。
本村:ありがとうございました。

~広報部の感想~
本村先生のルーツは幼少期から自己分析をされていて、今につながっているのかなと思いました。
文学が好きで今はそれに自然とマインドフルネス、理系の思考が多いと思う医療の世界においてこのような考え方をされているというのも興味深かったです。
ただ…最後の哲学者については二人とも言ってる事が難しくて、文字起こしをするのに録音を何度も聞きました。
でもそんな哲学が好きなお二人なのでわかる話題なのかなって思いました。
お二人ともありがとうございました!