インタビュー・対談「照幸の部屋」第3回

第3回 野村主任心理療法士 meets 中村作業療法士長

2023年1月11日

インタビューの様子1
インタビューの様子2

対談前 ~ 会場のサイダットルームで ~

広報部:先生、お疲れ様です。

野村:おう。くるしゅうないぞよ

広報部:さすがノってくれますね。中村さん、お疲れ様です。

中村:これって何か台本あるんですか。ノープランで来ましたが。

広報部:ノープランです。野村さんの話術で成り立ってます。

野村:そうですね。中村さんとは廊下ですれ違えば肩をぶつけ合いますし、机の下では蹴り合ってますし普段から大丈夫ですね。飛沫少な目でぼそぼそ話しますか。

中村:これがアイスブレイクですね。

野村主任心理療法士 meets 中村作業療法士長

広報部:前回の本村先生が次を楽しみにしていると言ってましたので・・・次の人をということで作業療法士長の中村さんにお願いしました。野村さんとは旧知の仲で当院が医療観察法病棟を作った10年以上前からの付き合いですね。

野村:中村さん、引き受けてくださってありがとうございます。

中村:こちらこそありがとうございます。

野村:中村さんとは知った仲なので・・・この対談をご覧になる方に対してというのもありまして、まずは中村さんがどんな人かを話してもらってもいいですか。

中村:作業療法士をしています。作業療法士の説明は当院だと身体と精神科の作業療法を行っていて、私の今の担当は身体ですね。で、普段の業務も身体と精神で変わってきます。

野村:みなさんに聞いているんですが…なんで作業療法士になろうと思いましたか。今なんでここにいると思いますか。

中村:いろいろ理由はありますが・・・昔から人を笑わせるというか、人に笑ってもらうのが好きだったというか、わりと得意だったと思うんですね。勉強も運動もできなかったので、いじめの対象にはなりやすかったと思います。なのでどうしてこの人はこんな事言うんだろう、こんな事してくるんだろうと考える機会は多かったと思います。ですけど、おもしろい事では認めてもらえたと言いますか。人に笑ってもらう事で自分の居場所を確保していたと思うんです。高校卒業後はお笑い芸人を目指して上京したりしました。野村さん、知ってますよね。

野村:私は知っていますが、ぜひ読者の方に知っていただきたいと思って。

中村:コンビも組んで舞台に立ったりしていましたが、うまくいかなくて。地元に戻ってきて、人と関わる仕事がしたくて精神科病院に看護助手として就職したんです。そこで作業療法士という職業を初めて知って、知り合った作業療法士さんに勧められて。お笑い芸人じゃなくても誰かに笑ってもらえる事は出来るかもしれないと思ったんです。

野村:と、思ってなろうとしたら大変だったと。

中村:勉強は得意ではありませんから。予備校に通いましたね。工業高校出身だったので、生物学とかもやってなくて大変でした。留年しましたし、劣等生でしたね。

野村:学んでみて現場に出て作業療法ってどんな感じでした。自分の持っていたイメージと差はありましたか。

中村:イメージとは違いましたね。作業療法は笑わせるというか与えるのではなくて患者さんが自分の力で笑えるようになっていく感じだと思います。

野村:与えて笑わせるではなくて笑えるようになってもらうってことですね。

中村:大変な病気を抱えている患者さんも生活の中で楽しんで暮らしている方はいっぱいいらっしゃるので、そんな人たちの姿を見られるとやりがいを感じますね。
自分のやりたい事という意味では作業療法士を選んだ事もズレていないと思っています。

野村:最初は民間の病院でしたっけ。

中村:富山県の60床くらいの精神科病院で3年くらい働いて、さいがたに来て5年くらいで昇任試験を受けて、小諸で主任として2年、信州上田で1年でしたね。

野村:信州上田って総合病院?

中村:そうですね。精神科では集団療法でカラオケやレクやっていたのに、ICUでもリハビリするようになって。重症度に幅があるし、回復が早い人はやることが翌週はぜんぜん違うことをやったりとか。

野村:その次は新潟病院ですか。

中村:そこで神経難病の他に筋ジス等ですね。そこに4年いました。

野村:そしてさいがたに士長として戻ってきたと。作業療法ってどんな目的とかありますか。面接みたいだな。

中村:人によって回答が変わるかもしれませんね。対象も老年期・難病・がん・精神・子どもとか多岐に渡りますし。共通して言えるのはその方が何をしたいかを明確にしていくというか、その人の主体的なところを引き出す事かと思います。寄り添うというかそんな形が作業療法士の特徴の一つですかね。

野村:作業療法士について語ってもらうと人によって説明が変わるというのは柔軟でもあり、固定化されていないところに魅力があるんですね。作業療法士はどんなやり方をしてそこに向かっていきますか。

中村:答えを患者さんに出してもらう事は意識しています。作業療法士は自分で決めてもらって、決めた目標を達成するための準備を提案していくことが多いです。決めるのは患者さんでその手助けをするといった感じでしょうか。

野村:例えば精神の患者がぼくは仕事に就けるようにしたいと希望があったとき、作業療法士がサポートするとしたらどのようになりますか。これも幅広さがあるので人によって違うと思いますが。

中村:そうですね。まずは仕事をしたいなら、退院してデイケアに通ったり、作業所に行くところから始めましょうとかが一般的な関わりかもしれませんが、私ならまずはどんな職につきたいかとか、患者さんがゴールをどこに置いているのかの確認を先にすると思います。そしてわからない事があれば一緒に調べたりとかそういった関わりから始めそうですね。

野村:患者さんと一緒にゴールというか目指すものを考えて向かっていくのですね。

中村:他の職種に作業療法士って何でもやるよねって言ってもらえる事もあるけれど、そうではなくて、患者さんのやりたいことに対して付き合ってるからそう見えるかもしれません。

野村:いろいろ経験をして戻ってこられたわけですが、一貫しているのは患者さんの主体性をすごく大事にしつつもみんながびっくりするような取り組みを提案することが多かったですね。例えば、医療観察法の患者さんは入院期間が年単位になるので、自分の事は自分でできるようになった方がいいんじゃないかっていう話題になりました。病棟では洗濯機を使った後に乾燥機を使っていましたが、退院したら乾燥機なんてなかったから干せばいいだろうと中村さんが提案されましたね。当時はリスクの兼ね合いで抵抗されて却下されましたがよく覚えています。でも結局のところ今は病棟では退院前の方は洗濯物を自分で干すような設備を作りました。読者の方には伝わりづらいかもしれませんが、簡単なようでリスクをとって変えるのに抵抗が当時はありましたからね。
やっと時代が中村さんに追いついたって思ったんですよ。他にもいろいろな提案をされてましたよね。こちらが与えるものだけではなく患者さん同士で提案してもらうピア活動とか。なにか覚えてますか。

中村:いやーあまり覚えていないですね。物干しの話なんてしましたっけ?

野村:私は印象深かったので良く覚えてますよ。でも干す道具とかがリスクにもなるしといったことで、何となく他の方々もそれはやらなくてもいいんじゃないかっていう空気になって却下されてしまいましたが。

中村:今でも思っているのは病院自体が選ばれる時代になったので、患者さんが選びたくなるような取り組みは考えていかなきゃなっていうのはありますね。

野村:でも当時はそんな崇高な考えじゃなかったのでは?(笑)。

中村:当時はもっとシンプルでした。患者さんはもっと自由でいいと思ってました。作業療法士って患者さんとも比較的距離も近いと思うんです。いろいろ話をしてくれる患者さんもいて。患者さんの話を聞いていて、この人たちに医療は味方だと思ってもらいたいと思っていましたね。そうしないと将来の彼らに医療を選んでもらえないんじゃないかって。

野村:村上先生たちが着任されていろいろ話を聞いて我々の考え方が変わっていった点もありますね。入院中は21時で消灯というルールがあったんですが、一人暮らししたら21時になんて寝ないので、だったら入院中から日常生活に近い時間に就寝時間を変えて、その中で翌日も問題なく起床し、生活できるのかと言うことを試した方がリアリティがあるのではないかと考えて、ルールを変えていきましたね。でもそうなると「遅くまで起きている人がいると足音がうるさい」といった不満も生まれますが、そうなればしめたもので、それをどうするかといった話し合いが生まれ、自由度を上げると責任が生まれることを体験する機会になります。
こういったことをみんながわかるようになったのはだいぶ後でした、当時に中村さんが言っていることが先をいっていたので、やっぱり中村さんは未来から来たようなというか異質の存在だったんですよ。あまりに当時の取り組みと違い過ぎて。

中村:その時の状況に合っていない事も言っていたし、自分の力不足ですよ。当時はプレゼンも下手だったなあって思いますね。その中でも背中を押してくれた野村さんたちには感謝ですよ。

野村:なんでわかってくれないんだ、って歯がゆい思いもありましたよね。面白半分に煽っていたところもありましたけれど。でも本当にすごいなって思っていました。
一般集団療法のやり方も上手と言いますか、患者さんが中村さんのプログラムの中では主体的にすごく喋ってくれるんですよね。どうしたらあんなに喋ってもらえるかって考えると当時の中村さんの取り組みはだいぶモデルケースになっていましたね。こちらからコントロールしようとしたらなかなかそう上手くはいかないですし。出てくるものをそのまま受け止められる度量と今の哲学というか患者さんに伴走するっていうスタンスやスキルが無ければ成り立たないと思いますし。
あ、もう一つ当時に印象深かったのが「野村さん、スタッフが楽しむ必要は無いんです。患者さんが楽しいと思ってもらえればいいんです」え?どういうこと?って思いましたが、でもそこが大事なんだなって思ったときに…私の目のうろこが落ちましたよ。
患者さんに対する中村さんの哲学は当時のスマホに入れてましたから。だから今でもスラスラ話せるので。なかなかできることじゃないですからね。

中村:いやいや言い過ぎでしょ。

野村:いや私もその点については考え方が近いと思ってるんですよ。当院も今はより患者さんに寄り添ってというのを大事にしていますし。

中村:患者さんに寄り添ってというところは大切にしたいですよね。

野村:今まで患者さんにどんな活動を提案したりしたことありますか。個性的なやつは。

中村:個性的かどうかわかりませんが、だいぶ以前の話ですが精神科で医療観察法の治療に入っていたときに介入したので性的な問題行動を起こすケースがありました。対策として性的な刺激を与えないようにしていましたが、院内でできたからといって院外でもそれを避けられない場合はあり得ると考えましたので、成人的な雑誌を周りの人と同じような一般的な使い方ができるように提案した時はありました。

野村:性的な問題行動がある場合は触れない・近づけないがように配慮するのが一般的な対処だと思いますが、現実的ではないだろうということでそういった刺激がある中でどう問題を起こさずに暮らすかと接し方を工夫してみたといったところですね。

中村:リアルオキュペーションという言葉を当時耳にして、より現実的な生活に則した関わりをするのが大事だと感じていました。医療観察法の治療は閉鎖病棟で在院日数が長いので、入院期間中はできても退院した時にどこまでできるかというのは考えるのは難しいなと思っていました。

野村:中村さんの話を聞いていると自分が主体的にではなくて、相手の事を考えるのが第一っていう考えがありますね。

中村:主体的な活動の獲得なんていうのが以前の作業療法の定義にありましたが、その一文が好きで今でも大事にしていますね。

野村:医療観察法の分野だといかに退院後の生活を見据えるのって大事だと思いますが、中村さんの取り組みって昔からすごく先取りしていた印象ですね。今やっと中村さんに時代が追い付いてきたと思いますよ。

中村:いやいやそんなこと。

野村:作業療法士って何人いましたっけ。

中村:11人ですね。

広報部:お二人とも昔とは立場がだいぶ変わりましたよね。

野村:そうですね。一職員として暴れまわっていた頃とは。年月が経ってとがっていたのが丸く・・・いや形を変えてっていう感じでしょうか。

中村:考え方自体は大きく変わっていませんけど、今より結果を出すのに必死でしたね。その分過激な言動も多かったので、多方面にたくさん迷惑をかけましたし。ここでは言えないくらい色々なものを失って後悔もしています。

野村:すごい慎重になりましたよね。一歩二歩も。いろいろなところに異動して経験をしてその積み重ねなのかなって感じます。

中村:ずっと同じところにいたらどうなっていたかなっていう気持ちはあります。今も昔もさいがたは懐が深い病院ですから。野村さんがうらやましいと思う事もありますよ。野村さんがいる事自体が当院のアピールポイントになるわけですし。

野村:好きにやらせてもらえているのはありがたかったですね。

中村:自由にさせてもらえましたよね。さいがたにはそういう風土が昔からあるので、若いスタッフの勢いがあるような気がします。

野村:一番今日聞きたかったのは未来の作業療法じゃないけれどもっとこんな事をしたらおもしろいなっていうのがあれば。いろいろアイディアを昔からもっていた人でしたから。

中村:実は無責任に発言していた事も多かったなと反省しているんです。私も役がついて、国立病院機構の当院の理念に沿った医療と作業療法を展開したいという気持ちが強くなりました。その上で、精神科では佐久間院長のもっと力入れていこうというところに力になれたらなと思います。神経難病の方では下村名誉院長が患者さんとの信頼関係を築いてきてくださっていて、そこからさらに新しい取り組みが始まってきています。そこにリハビリは何ができるかを考えています。患者さんの身体機能やADLだけでなく、入院生活の質の向上に注目したいとと思ってますね。

野村:神経難病のところもっと具体的にいいですか。

中村:今はタブレットとかインターネット環境があれば、その他にトイレとお風呂があれば生活できる時代ですよね。入院していて家に帰りたいっていう患者さんの気持ちもわかります。ですが、入院中もあまり不便を感じないような環境を作れると、入院期間中の治療も円滑になるのではないかなと考えています。スキルを身につけることは難しくなくなっていますし、手段が変わっても自分でできる事が増えれば、退院後も役立てる事もできますし、介助量も減らせますので。

野村:IT機器やインターネット環境を使って入院生活をいかに地域生活に近づけていくって感じですかね。在宅にいる人にサポートを届ける点についてはどうですか。

中村:アウトリーチの方ですね。インターネット環境を整えればもっとやりやすくなると思います。もちろん関わっていきたい事ですが、収益にどうつなげていくかっていうところが課題ですね。

野村:より良い医療を提供したいけれど、病院としての収益的な部分も考えてやるということですね。

中村:病院がどんなにいい医療を提供しても収益を考えないと機能が維持できないですから。患者さんに満足していただけて、納得して診療費を支払ってもらえるような関わりをしたいです。診療費に見合ったものは提供したいですね。

野村:さっき中村さんが言っていましたけれど病院もこれから選ばれますよね。人口動態を見ても高齢者が増えて若年層が減って、必要な医療の数もそんなに多くなくなるので。

中村:そこでQOL(生活の質)を考えていかないとかなっていうのが今の目指すところですかね。

野村:患者さんが行きたい病院を選ぶっていう時代ですしね。何となくの印象でもありますけれど、当院の強みである依存症治療もここの病院のこういうところがいいよねっていうのを出していかないと生き残っていけないと思いますよね。

中村:NHOの理念に沿った医療を展開していけたらってところですかね。

野村:理念も大事なんですけれど、中村さんからの魅力は破壊っていう面もあると思うんですよ。一石を投じるところの魅力といいますか。ギスギス・モヤモヤ・グチャグチャとしたところでの新しい発信を楽しみにしています。守りながらも破壊して欲しいです。

中村:ちょっと何言ってるかわからないですね。

野村:こんなのおかしいだろっていう事を今の時代にあった表現で出していいって欲しいです。期待しちゃいます。エンターテイメントとして!

中村:もう前に出て目立つ役割じゃないと思っていますので。でも、そんな想いのある人財育成ができればと思っています。今のリハビリテーション科も魅力的な人財がたくさんいますから。

野村:第二の中村さんの育成ですね。未来を生きる中村さん。

中村:そんな大げさなものじゃないです。私は当時のさいがたに合わせられなかっただけですよ。

野村:今後もさいがたの作業療法士に期待…期待っていうと上からみたいですね。その活躍を楽しみにしています。

中村:ありがとうございます。リハビリテーションという分野自体が他の職種と連携していく職業ですので、多くの職種の方に応援されるような働きができればと思っています。

野村:またこれからも引き続きよろしくお願いします。今日はありがとうございました。

中村:ありがとうございました。

インタビューの様子3
インタビューの様子4

対談後

野村:広報部には今日もたくさん打ってもらってありがとうございました。

広報部:今日は5000文字くらいですか。本村先生の時は6300文字くらいですね。

野村:意外と少ないですかね。この二人だと話が薄いってことですね。この二人を揃えるとこういう事になるっていうのがわかってもらえました。

広報部:いやいや。これから編集で追加される部分もありますので。

野村:でも今日はストーリーが自分の中でありまして、中村さんの事が伝わればいいなと思いながら話してました。

中村:そうなんですね。

野村:中村さんの取り組みが理解される時期、されない時期があったのを知っているので、いろんな苦悩の時期を伝えたいなと思っていました。そうしたら自分が中村さんの職業人生を振り返ってしまって。自分が語っちゃった。

広報部:導入部分のなんで作業療法士を目指したっていうところから、芸人がルーツにあるっていうのが面白かったですね。やっぱりパーソナルな部分を話してもらえると良いです。

野村:そうなんですよね。

中村:最初は30分くらいでぱぱっと終わるかなって思いましたが、1時間くらいあっという間でしたね。

野村:話してるとまた興味が湧いたり、思い出したりして話したくなっちゃいますし。どこまで話していいかって微妙かもしれませんが、そんなところこそ面白いですよね。後は編集で。人にフォーカスを当てていきたいですからね。

広報部:今回は最後にノーマスクの写真を撮っておきましょう。

野村:どんなポーズします。揉めてる感じとか。

広報部:じゃあ片想いポーズとか。

野村中村それもやりましょう。

インタビューの様子5

~広報部の感想~

中村さんの作業療法士になるまでに芸人の経歴と聞いてびっくりでした。人を喜ばせたいという信念が根底にあり、作業療法士という職種に出会って今でも活躍されているのはまさに運命だったのかもしれません・・・。

根っこの部分はあまり変わっていませんが、お二人も役職がついて立場から好き勝手な事をなかなか言えないもどかしさと発言に影響力が出てきたことを感じていると思います。でも二人とも共通しているのは、いい医療を提供したい・患者さんのためにという当院の理念である「良い医療を安全に 心を込めて」につながっていました。

今後も今が脂の乗っているお二人の活躍に期待です。
終始和やかで笑いの絶えない対談となりました。お二人ともありがとうございました!

野村照幸

野村照幸

さいがた医療センター主任心理療法士(臨床心理士・公認心理師・博士(ヒューマン・ケア科学))。2002年に茨城大学を卒業後、1年間中学校の非常勤教員(英語科)として勤務した後に上越教育大学大学院(修士課程)で臨床心理学を学ぶ。大学院修了後、民間の精神科病院で心理士として1年間勤務した後に現職。主に医療観察法医療に従事しながらも、デイケアや入院・外来、アディクションの治療、研究にも関わる。2015年には筑波大学大学院(博士課程)に入学し、我が国で初めて「クライシス・プラン」をテーマに博士論文を執筆し、2018年に修了。2017年より、「クライシス・プラン研究会」を立ち上げ、医療分野に留まらず、教育・福祉・保護・矯正など様々な分野の多職種や当事者・当事者家族も参加しており、約400名の会員がいる。主な著書は「司法・犯罪分野に生かす個と家族を支える心理臨床」(日本家族心理学会, 2020)、臨床心理学 第19巻第2号―CBT for psychosis―幻覚・妄想に対処する(金剛出版, 2019)。
趣味はサッカーをすることと観戦、サッカーの動画視聴(特に美しい軌道のクロスボールを点で合わせてゴールするシーン)、旅行、麻婆豆腐の味比べ、だしのきいたスープ作り、イカの観察(特にアオリイカ)