どう解釈するかはその人しだい。三匹のやぎのがらがらどん

2022年08月03日
どう解釈するかはその人しだい。三匹のやぎのがらがらどん
皆さん、こんにちは。
今日も前回に引き続き、大人も読める絵本の紹介です。
今回取り上げるのは「三匹のやぎのがらがらどん」。
もともとはノルウェーのおとぎ話でしたが、日本ではマーシャ・ブラウンの印象深い絵でおぼえている方の方が多いのではないでしょうか。

さて、この「三匹のやぎのがらがらどん」。
あらすじはかんたんです。
「がらがらどん」という同じ名前を持つ三匹のヤギの兄弟。一匹目の小さいがらがらどんが橋を渡ろうとしますが、橋の下からあらわれた巨大なトロール(鬼のオバケ)にお前を飲み込んでやる、とおどされます。
小さいヤギのがらがらどんは、自分よりも大きなヤギがもうすぐ来るから食べないで、見逃して、と言って難を逃れます。二番目のがらがらどんも、同じことを言ってトロールの手を逃れます。
お腹を空かしたトロールの前に最後に現れたのは、それまでと打って変わって巨大ながらがらどん。トロールは前二匹と同じようにおどしますが、三番目のがらがらどんは巨大な体格と圧倒的な攻撃力でトロールをバラバラにやっつけてしまいます。
最後は三匹のやぎのがらがらどん兄弟が橋を渡り、草原で大好きな草を食べてお腹いっぱいに太るしあわせそうな場面で物語は終わります。

さて。

この物語、いったいどう解釈したら良いのでしょうか。
トロールの暴力に対して主人公が知惠を使って逃れたというお話ではありません。
トロールの圧倒的な暴力性に対して、最後にはそれを上回る戦闘力を持つ長兄が現れ、真正面から敵をやっつけます。
なにかこう、集団的自衛権とか武力によるパワーバランスとかそういう言葉も連想しますが、まさか現代の国際政治を表しているわけではないでしょう。
この童話が伝えたいのは、暴力に対抗できるのはそれを上回る暴力だけ、という身も蓋もない教訓なのでしょうか。結果的に何の害もなさなかったトロールは、果たしてバラバラにやっつけられて当然なのでしょうか。
最後のページ、しあわせそうに草を食べる三匹のやぎのがらがらどんを見ながら、何とも言えないモヤモヤした気持ちが残ります。

でも考えてみたら、このモヤモヤする感じこそがこの童話の良いところなのかも知れません。
優れた物語は、読み手に多重的な解釈を許します。
太宰治の代表作「人間失格」は、最後まで読んでも何をどう解釈したら良いのか分からず、何とも言えない重苦しい気持ちが残ります。その割り切れない感覚こそが、名作たるゆえんなんでしょう。単純な勧善懲悪物語、あるいは単なるピカレスク(悪漢小説)だったら、人間失格は時の洗礼を受けてなお後世に残る作品たり得なかったはずです。
三匹のやぎのがらがらどんも、読後の割り切れなさ、読者をほったらかしにして突然物語が終わってしまう無常さでは人間失格に引けを取りません。
ぜひ皆さんも三匹のやぎのがらがらどんを読んで、圧倒的な力が物語を揺るがす有様を体験してください。
三匹目の大きなヤギのがらがらどんの勇ましい台詞回しは、何とも言えずかっこいいですよ。
この絵本、さいがた文庫に常設しています。
ぜひ皆さん立ち寄って、手に取ってくださいね。